「春琴抄」谷崎潤一郎

純文学

周りから幸せだと思われたい?そんな恋愛がしたい?そんなくだらない承認欲求を粉々にぶち壊すかのような春琴と佐助の世界観。覚悟が決まった恐ろしいくらいの純愛に世間体などは太刀打ちできない。

他人に理解される必要などない、二人の世界。突き詰めた究極の愛に官能的な文章。その美しさに衝撃を受けた、私が初めて読んだ谷崎作品です。

春琴の墓の近くにある小さな佐助の墓。死してなお師匠に服従する。

話は、語り手が春琴のお墓参りをするところから始まります。春琴の生家である鵙屋家の代々のお墓がある場所から少し離れたところに彼女のお墓があります。そして、その隣にある小さな佐助の墓。死後にも師弟の礼を守る佐助の遺志がそこにはあります。

佐助が春琴の三回忌に誰かに頼んで書かせた「鵙屋春琴伝」という伝記から、二人の物語が読み解かれていきます。

お嬢様と丁稚

春琴はお金持ちのお嬢様、しかも容姿端麗で賢く芸能の才がある正に完璧な女の子。しかし9歳の時に不幸に失明してしまいます。そして舞技を断念して管弦の道に進み、毎日、琴の稽古に通います。その稽古に通う送迎の役をしていたのが鵙屋家に祖父の代から奉公していた佐助でした。佐助は春琴よりも4つ年上の13歳。佐助が春琴に出会ったときは既に彼女は失明していましたが、春琴の閉じた瞼が姉妹たちの開いた瞳よりも美しく思えて、この顔はこれが本来の姿でありこれでなければならないと感じたとのこと。いや、すごい表現です。幼い佐助にとって春琴はもう好きとかいう感情は恐れ多く崇拝対象で、絶対的な服従がこの頃からあったのですね。我儘なお嬢様育ち+盲目になって気難しく意地悪になったお嬢様の機嫌を損なわないよう常に気を張ってその顔つきや動作を見落とさないように仕える佐助。会社だったら大問題のパワハラ上司ですね。

春琴は全ての奉公人にそのようにキツく当たっていたわけではなく、佐助にだけのようでした。当の佐助は自分にだけ向ける特別な意地悪さ=甘えられていると取り、むしろ喜んでいたようです。需要と供給が一致してしまいました。 笑

また佐助は、憧れの春琴と同化したいという思いから給料を貯めて粗末な稽古三味線を買い、夜な夜な奉公仲間が寝静まった夜中にこっそりと真っ暗な押し入れの中で手探りで練習していました。春琴と同じ暗闇で練習できることに喜びを見出す佐助。ドMというかぶっ飛んでいるというか…さすが佐助さん、ブレないです!後にこの夜中の稽古は皆の白日の下に晒されてしまうわけですが、春琴が師匠として佐助を教えることとなり、ここにお嬢様と丁稚という関係にプラスして(ドS)師匠と(ドM)弟子という関係性ができあがりました。 笑

両親の思惑に反する春琴。でも…??

春琴は佐助に三味線を教えるようになりましたが、日々その稽古は厳しくなっていき、時には辛辣な言葉で佐助を罵るようになっていきました。夜中に激しく佐助を叱責する春琴の怒鳴り声としくしく泣く佐助の声。ちょっと佐助が気の毒になりました。見かねて春琴の両親が止めに入るも春琴の気性の荒さは加速するばかりでした。

将来、娘の性格が歪んでしまうことを恐れた両親により、佐助は18歳の時に春琴の師匠にあたる春松検校(春琴の師匠)に弟子入りし、結果春琴は佐助に教えることを封じられ、同じ師匠に弟子入りしている相弟子という関係になりました。両親としては対等の結婚が難しい春琴の婿として佐助を迎えたいという思惑があったようですが…春琴は断固拒否!しかし一年後に佐助の子を妊娠します。

えっ!?どういうこと??と混乱しました。しかも両親が改めて縁組をすすめるといくら不自由な体でも奉公人の佐助を婿に持つなんて嫌!お腹の父親にも失礼!とまた断固拒否。いや、お腹の子の父親は佐助だよね?もう無茶苦茶です。意味わかりません 笑。重度のツンデレなのか。生まれた男の子が佐助そっくりでもまだ認めないって…もうツンデレ女王ですわ。

佐助の覚悟

春松検校が亡くなり、春琴は独立して弟子を持つようになりましたが、その厳しい稽古や態度から色々な人に恨みを買っていきます。また美しい春琴に想いを寄せる人もあり、佐助の立場を妬む人もいました。もし春琴の美貌が失われたら佐助はどんな顔をするのだろうか。それでもまめまめしく春琴の世話をするのか見物だな、なんて敵意を持つ人も。あるいは商売敵が春琴が人前に出られなくなるようにという悪意を持っていたのかも。色んな憶測があり、結局は犯人はわかりません。

春琴は夜中に何者かに熱湯を浴びせられ、顔に重度の火傷を負ってしまいます。

春琴は佐助に顔を見られることを極度に恐れ、医者以外に佐助にも顔を晒すことを極端に嫌がります。治療の甲斐あって傷が良くなってきた頃、春琴は傷が癒えたら包帯をとって佐助には顔を見られなければならない時が来ると泣き始めます。佐助は必ずお顔を見ないようにするのでご安心ください。と春琴に伝えます。そして後日、佐助は自分で自分の目を針で突いて失明しました。

「これでお師匠様の顔を僕は見ることはありません。安心してください。」

えぇーーーー!!!

もし春琴の美貌が失われたら佐助はどんな顔をするのだろうか〜」とか言ってた人!想像の斜め上きたよ!この意地悪しようとしてた人も読者もドン引きだよ!

春琴と同じ世界に住むことができる喜びを感じつつ、佐助の衰えた目に仄白く浮かんだ二ヶ月ほど前の春琴の顔。佐助の覚悟と愛は私の想像以上でした。ここまできたら、それはもう一つの究極の愛。誰にも邪魔できない二人だけの世界。ただただ美しい、の一言です。

他人の憐れみも軽蔑も届かない、二人だけの世界。これが本来の愛の姿なのかもしれない。

佐助は勝気で我儘で美しい春琴を愛している。災禍のために性格が穏やかになってしまったらそれはもう春琴ではない。まして丁稚であった自分との結婚を認めるような人は春琴ではない。だから結婚もしない。ただ師匠である春琴に服従することに幸せを感じる。

春琴の美貌を奪った災禍が二人の愛をより崇高なものへと昇華していった。世間一般から乖離すればするほど、その美しさは神々しく凡人の理解を超えた域に達した。

これが本来の愛の姿なのかもしれません。

誰よりも裕福でキラキラした世界にいたい?他人に羨ましがられたい?幸せでいいねって憧れてもらいたい?それって本当に幸せ?

答えは、春琴と佐助が教えてくれるような気がします。

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