初夏の港町。麦畑と赤い月。夕立。空にかかる虹。二人の少女。20ページ程の短編に込められた絵画のような世界。そこはかとない不安と好奇心。この不思議な感覚をもうちょっと味わっていたい、そんな気持ちになる作品です。
二人の少女との出会い
学生生活後、東京で何もせずに毎日を鬱々と過ごしていた主人公は、父兄たちの目もありとある新聞に出ていた求人に応募し、2年間仕事のために地方の小都会にやってきました。
そこで出会った二人の少女。
主人公が英語の家庭教師をすることになった女学校卒業生の「みち子」。
食事を出前で頼んでいる賄(まかない)の料理屋の娘「さよ子」。
英語のできない可憐なみち子。成熟して落ち着いている、ふくよかなさよ子。
気になる可愛いお嬢さんな女の子と、お母さんのように安心する女の子、みたいな感じでしょうか。
海の見える岬にある家に住みながら、二人の少女との交流が描かれていきます。
赤くただれた片目の“彼”
港町での毎日になれて、みち子との恋愛関係を自覚し始めた頃、主人公は夜更けの海に浮かぶ赤い目の彼=月に怯え始めます。身寄りもない町で、未来に確かなものもない、その場しのぎのこんな毎日を送っていていいのか。なんとも言えない不安が主人公を襲います。主人公をじっと監視するかのような赤い目の“彼”は主人公の心に居座り、物語が進むにつれて存在感を増していきます。
主人公の迷いと心の闇が夜更けの赤い月に投影され、読者に不安を共有させる。絵画的な美しい表現です。
初夏の港町と可憐な少女
そんな主人公の後ろめたさや暗い気持ちをよそに、みち子は太陽のように明るく可憐です。そんなみち子に主人公は惹かれていきます。
そしてある日を境に恋愛関係になっていきます。
みち子について書かれた、“幾らでも初夏の窓の風景に調和した”というこの表現が見事です。よく調和した、ではなく“幾らでも”という表現が圧巻です。この言葉の選び方がなんともおしゃれです。こういった言葉選びの美しさがたまりません。
そして、みち子との関係が賄の娘にバレます。現行犯でバレます 笑。さらに誤魔化すための失言でさらに気まずいことになります 笑。この辺り居た堪れません。もう誤魔化せないよ、いつまで耳垢の設定引きずってるの??と突っ込まずにいられません 笑
はげしい夕立の後の大きな虹
二人の少女に嫌われたと思って絶望し、主人公は砂浜に横になって目を瞑り鬱々と不吉なことばかり想像します。みち子はもう家に来ない、賄の娘に笑われて泣いてしまう。自分のせいで。
そんな暗い思考に支配されていた主人公ですが、起き上がりふと見返ると、そこに信じられないくらいの巨大な虹が町の上から沖合の島の上まで架かっているのを見つけます。
暗く澱んだ気分を一掃するかのような巨大な虹。
そんな巨大な虹を見つけて朗らかに笑い合う二人の少女。
美しい岬の町に住む二人の少女の朗らかさは、一人の男になど汚されることはありません。美しくも力強い壮大な自然の前に、人間のちっぽけな私情(真っ赤な片目)など些細なものだと思わせてくれます。
美しい初夏の岬の風景と二人の少女との交流。見事な情景描写。20ページ程の短い文章に込められた世界。海の見える町に旅をしているような、そんな気分が味わえる作品です。
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